佃煮屋で財を成す

はてなブックマークでの厳しい一言で人が傷ついたりしているのを見かけます。誰かがちょっと間違ったということを指摘するのに、バカとかアホとか、そんなことを書く必要は本当にあるんだろうか、自分の思う正しい回答を丁寧に示すだけでよいのではないか、と思います。

はてなブックマークのコミュニティについて - naoyaのはてなダイアリー

こういった問い掛けをユーザにする はてな は良い。

ネットイナゴをどうするか。対策について思ったこと。
ユーザリテラシを高める、モデレーション機能だとか、批判的なものを封殺する方向性を感じる。確かにソフトな発言を心掛ければ雰囲気が良くなるとか、コメントを評価対象にすれば良いコメントが残るってのはありそうな気はする。
でも、批判的なこと「アホ」「バカ」というコメントも人の心を動かしたエネルギィなんだから、是非とも有効活用してもらいたい。ただ、イナゴの大群にタコ殴りにされるのは嫌だな。
タコ殴り対策として、ネットイナゴが集まっている祭り会場に、もっと人を集めるというのはどうだろう。場のエネルギィが批判的な方向だけに偏らないように、無差別に色んな人を誘導する。結果、ネットイナゴを駆除するイナゴの天敵が現れてバランスが取れる。都合良くいくかは分らないけど、まあ思いつき。
とりあえず、「ネットイナゴを検出する」「荒らしコメントをフィルタする」といった機能は必要かも。他にもイナゴなどなど、色んな人々を上手く議論させるためには、ブログのコメント欄やブクマだけでは不十分。議論が盛り上がってきたら(単純にコメント数やブクマ数が増えたら?)議論用の場を提供するシステムがあったら面白いかも。コメントを勝手に2chスレにリダイレクトしてやるとか。

 ネットは社会全体を相手にするのだから、ある意見に対する賛否両論は当然だし、誤解も生じるし、ときに批判は激しい。でもそんなこと以上に、嬉しくわくわくすることがある。それは、自分が書いたことが(たとえたった一人であれ)見ず知らずの人の、あるいは身近な意外な人の、心を動かすことだ。そしてそのことが直接わかることである。そんな素晴らしい経験の可能性が、いま誰にも開かれようとしている。

最近つくづく思うこと - My Life Between Silicon Valley and Japan

見ず知らずの人の心を動かせるようになったのは、それほど最近のことではない。前世紀の中頃にはそれが可能になっていた。だからそこだけ取り出すと、期待よりもむしろ不安の方が大きくなる。ナチスはまさにそうして大きくなったのだから。

しかし、その動いた心のありさまが、動かした者に見えるようになったのは、確かにごく最近のことだ。もしガス室の様子がリアルタイムで YouTubeにアップロードされていたら、総統はそれを正視できただろうか。潔癖性の彼が、それを華麗にスルーするという事態はむしろ考え難い。

404 Blog Not Found:幸福を痛感する

批判であれ何であれ、沢山の人に影響を与えることは無条件に凄いよ。